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ナポレオンの遺産-道路自動車の開発と改良の試みは、フランスのみならずイギリス、ドイツ、イタリア、そして大西洋のかなたのアメリカでも急ピッチで進められていたが、フランスのこの分野での業績は群を抜いていた。その理由の一つに道路がある。フランスの道路は、ナポレオン・ボナパルトにより飛躍的に整備が進められた。彼はアルプスの戦略的重要性に着目し、シンプロン峠道やグロースグロックナー街道などの建設を推進した。道路整備は、彼御自慢の砲兵隊の急速な展開には不可欠だったからである。

もちろんフランス国内の道路も舗装が進められた。そしてロシアへの侵略にあたっても、ドイツ、オーストリア、ポーランド、ロシアの道路建設を積極的に行った。敗れたナポレオンが、モスクワからパリに馬車を乗りついで逃げ帰ったとき二八一二年)も、その道路に救われた。その平均時速は一一キロと歴史家は推定しているが、それは当時の駅馬車のそれ(四・三キロ、一八一四年)の三倍近いスピードだった。

逃げ足にかけても彼は天才的だった。てつたいフランス占領軍がダルマチア(ユーゴスラヴィア西部)を撤退して、オーストリアが解放された後、フランツ皇帝は国中を回って、フランス人が完成できなかった大規模な道路網を視察した。彼は従者に言った「もっと長く居てくれなくて残念だったな」。その言葉どおり、ナポレオンはわずか九年の治政の間に、ヨーロッパ大陸の道路網の整備に革命的な変化をもたらした。その業績はかつてすべての道をローマに結びつけたローマ人のそれに匹敵する、と説く歴史家もいる。

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この先道の凸凹が少しひどいようですから―」。イギリス人らしいユーモラスな対応法である。とにかく警察とモータリストとのいたちごっこもまた、自動車時代の開幕と同時に始まった。アポリネールと時代精神だが自動車は多くの人々に好意的に受けいれられた。

的確に伝えてくれるものだったからである。それは素晴らしき新世界の息吹きを、ポルシェ登場。ポルシェ、電気技師となる。現在はチェコ領内にある、マッフェルスドルフ(現ヴラティスラヴィーツェ)に生まれた一八七五年九月二日フェルディナント・ポルシェは、一九世紀の末、オーストリア・ハンガリー帝国の主都ウィーンに出て新興の電気技術を学んでいたが、その彼にも時代の新しい息吹きは無縁ではなかった。

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